両親とのニューヨーク小旅行。

先月の30日に、両親がニューヨークへ旅行に来た。

最初で最後の海外旅行と、仕事を普段の何倍もこなしてやってきた。

私はschool break(学校休暇)が始まったばかりの時でちょうど良い時期だった。

両親はHotel INDIGO Brooklynという、

私の住居からそんなに遠くないホテルに宿泊していたので

地下鉄で31日の朝に会いに行った。

最初に顔を合わせたとき、全身の力が一気に抜けるような感覚におそわれた。

あぁ、必死だったんだ、と自分自身の変化に気づき、

しかし、喜びと安堵をこらえて話をした。

 

ここはニューヨーク。宮崎とはまったく違う土地。

危険もあるし、移動手段も違う、習慣も違う、そして言葉が通じない。

私は地下鉄のノウハウから街でトイレに行きたくなった時に使う言葉など

できるだけ日常で困らないように伝えられることは伝えた。

 

4日までの滞在と、実際に観光できるのは5日間程度なのだが

両親の年齢は60歳前後。予想通り時差ボケの疲れで休み休みの旅行となった。

 

それでも、私がニューヨークに来て最初にお世話になった

リエさんとタカさんの経営するロングアイランドのTAKA SUSHIまで

ロングアイランド鉄道で行った。ニューヨークの地下鉄と鉄道は全くの別モノなので、

私は初めての経験のため、搭乗の手続きの際はかなり緊張した。

駅はたくさんの人でごった返し、どこで切符をどのように買えば良いのかわからない。

何とか切符を買ったあと、父と私がトイレに行っている間に、

母はちゃっかり行き先を把握していた。

どうしてわかったのかきくと、

インフォメーションで切符片手に駅員さんにニコニコしていたら教えてくれたそう。

母の力は凄まじい。アメリカ人は日本人女性にとても優しいのは知っていたが。。

母は偉大だ。

鉄道の途中の駅で降り、タクシーに乗り継いで、全部で1時間半くらいでTAKA SUSHIについた。

店内は日本の寿司屋そのまま。本格的な寿司を提供するお店だった。

うまい日本酒とうまい焼酎とうまい寿司。毎日、大量のビールでごまかしていた舌がうなった。

リエさんは母の従妹。客がいなくなってからは話が大いにはずんだ。

別れ際、二人は抱き合って頑張ろうね、と言い合っていた。

 

それからは、ブルックリン橋、MoMA、メトロポリタン美術館、セントラルパークなど

名所をまわり、食事は美味しいレストランやバーガーショップなどで振る舞ってもらった。

帰国の出発は5日の午前5時。4日はおみやげを買うと言っていたので

3日の晩ごはんは宿泊しているホテルの1階のレストランでニューヨーク最後の家族の食事をした。

そして、部屋で呑もっか、と言って近くのデリでワインとナッツを買い

3人で呑んだ。私が泊まると追加料金がかかるが、

こっそり泊まることに決めてから、私は即爆睡してしまった。

2時間ほどたって起きると、父親が、「いびきがうるせー(笑)」と言っていた。

それから色んな会話をしながら家にいるような気分になってきた。

旅行の間に色々あったが、なんだかんだ言っても親は絶対見方なんだなあ、

ふと友達と話していて出てきた言葉を思い出した。

 

翌朝、先行くわ、とホテルを出て地下鉄を待ってるときに、

母に、「ありがとう。最後まで気をつけて」とメールをして返信がきた。

「安心しました。何かあったら連絡しなさい。」と。

 

今、5日の夜中にこの文章を書いている。明日から学校が始まる。

また頑張れそうだ。かけがえのない時間を与えてくれた両親に感謝する。