恩師・日岡兼三の思い出。死因、弟への想いなど。

日岡兼三作「種」

年が明け、賑わいの後の早朝にふと、先生の思い出が浮かんできたので記したいと思います。

日岡先生の死因

日岡先生の肺がんの原因は、版画の腐食に伴うガスをたくさん吸った事じゃないか、と先生がおっしゃっていました。先生は、銅版の作品の制作に没頭していた時期があったそうです。銅版の制作工程には「腐食」という工程があるのですが、「腐食」の時に猛毒のガスが発生するので、一般的にマスクをして排気管の元で行います※ しかし、先生はそんな設備を用意するお金がなかったので、家の庭で行っていたそうです。

タバコは一切吸わない人だったので、それが原因だろうと。

「燃やす」という行為

先生の家には、たくさんのご先祖の遺品があり、空間が足りず困っていたそうです。そして、それをどう処分するか考えた挙句、全部燃やしたそうです。

その後、陶芸や焼物の制作に向かっていく時に、「焼く」という行為に意味があったのではないかと思います。

また、絵画においても「燃やす」ことを行っています。赤い紙の上に、ドローイングをして一点を線香で燃やして穴をあけた紙を重ね、穴から鮮やかな赤が覗く、という作品も作っていました。

たまごや本など、いろんなものを窯で燃やし、独創的な作品に昇華していました。

「自然現象」と「反転」

どちらも「自然現象」と「反転」が関わっており、先生の奥さんの日岡美穂さんが別のサイトで語っていたように、弟さんが亡くなった後の先生が悲しみに浸っていた時期に上記の作品は制作されていたのでは、と思います。

当時の先生にとっての「燃やす」という行為は、ただ奇をてらった事ではなく、最後に作品を別の美しいものに変える神聖な行為だったのではないかと思います。弟さんを弔うためのただ一つの行為だったのではと思います。

 

 

※Facebookの友達から「腐食」について教えて頂きました。日岡先生の時代の腐食は、硝酸を使っていたため有毒ガスが発生していたのでは。現在、主流の塩化第二鉄を使った腐食では有毒ガスは発生しないので、以前よりは制作環境は安全になっていると思います、とのことです。

追記:

日岡兼三の奥様の日岡美穂さんにこのブログを見ていただいたところ、

死因は他にもあったかもしれない、と返事を頂きました。

以下、メールの一部です。

 

 

「他にも、原因になったのではと思われることがあります。

1兼三は、最初は印刷所に勤めていました。確認していませんが、あの時代だとアスベストなど身近にあったのではと思います。

 

2家の水が、私が嫁ぐまで井戸水でした。周りは農業地帯で農薬を撒いています。調べました。酷くはなかったですが、飲料にはあまりよくなかったので水道水にしました。

 

他にも癌を発症する物があったのでしょうね。

 

癌を患う10年程前に、兼三に1年に一回定期検診を受けるように頼みました。検診を受けることがないので、心配だったのです。しかし、あの肺癌は心臓の後ろにあり見つけにくかったのです。検診では、見つけられませんでした。

見つかった時は、4期でした。

 

兼三は、レントゲンの検査画像をしっかり見つめました。死が近づくのを、自分で受け入れていきました。」

※写真は2015年の高鍋町美術館での「日岡兼三展」の時、撮影。

 

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